とりとめのないこと

雑記とか雑記じゃないのとかいろいろ

7月28日 セミの声

夜更かしして外が明るくなってきた5時半ごろ、セミが鳴きだした。
本から目を離したせいなのか朝になって日が出たからなのかはわからないが、やけに明瞭に聞こえた。
 
断続的に、「ミーン」とかのオノマトペで表されるセミらしい声で鳴いている。
なんとなく私が聞いたのはセミの今日の第一声だったように思う。
私が今日初めて聞いたセミの声だからそう思っただけかもしれないが。
 
夜中に漫画を読んでいた時は静かだったし、セミも夜の間、もしくは暗い間は寝ているんだろうか?
詳しくはわからないが、セミは明るさを判断する何かしらの術を持っているということか。
何にせよ、床の上でむちゃくちゃな寝相で寝こけている弟はけたたましくセミが鳴きはじめても起きない。
 
 
安全な家の中でセミの声を聴くのが好きだ。夏らしくって良い。
少し違うかもしれないが「風流」という言葉が思い浮かぶ。
 
 
先日、父の部屋へ行くためにアパートの階段を上っているとき、2階からぐるりと3階につながっている階段のちょうど真ん中あたり、踊り場と呼ばれる部分の内側の隅っこにセミがいた。
セミだ!」と思った。
静かだったが生きていることが窺えた。生きていたにしろ死んでいたにしろ、近くを通るのに抵抗感がある。
 
というのも、数年前の夏、ベランダで洗濯物を取り込もうと引っ張ったタオルにセミがくっついていて、それが自分の目の前を勢いよくブブブと飛んで行った。
急なことでかなりびっくりしたし、セミの体の緻密さが一気に目に入ってきて、体からさっと血の気が引いた。
昔は抜け殻を集めるような距離にいた「セミ」という存在が一気に遠のいた。
 
そのことがあってからか、セミを見ると「急に動くかもしれない」という不安がよぎる。道に転がっていること切れたセミもすべてセミ爆弾(死んでいると思って不用意に近づくと、反発するかのように動きだして足元を飛び回り生命力を誇示するセミの総称)に思えるので、距離をとって歩くようになった。
例に漏れず先日も、階段の外側の端の方をそーっと上り、3階の床を踏むと同時に早足になって父の部屋へ向かった。
 
セミの声を聴いて、ふとそのことを思い出した。
やっぱり記憶は関連付けられているんだなと思う。