とりとめのないこと

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8月29日 ラジオとポッドキャストの違い

スーパーのわらび餅を食べながらポッドキャストを聞いた。

今まで耳で聞く会話はすべてラジオだと思っていたが、検索してみたらラジオは生放送、ポッドキャストは録音という違いがあると書いてあった。知らなかった。

 

最近聞き始めたのが、Spotifyの「奇々怪々明解辞典」というポッドキャストだ。

好きなアーティストがパーソナリティをしているからと再生してみると、これがとても面白い。

日常を薄く支配する奇々怪々な事象に名前を付けよう、というようなテーマを掲げ、MONO NO AWAREのフロントマン玉置周啓氏とDos MonosのラッパーTaiTan氏がゆるくお喋りしている。

そもそも番組に「名前を付けてください」と送られてくる現象のセンスがいいし、2人が話して決定した名前もいいさじ加減で、そこで名前を付けられた現象に今後自分が直面したら、きっとその名前を思い出すんだろうと思える。今のところまだそれは起こっていないので、楽しみに待っている。

パーソナリティ2人とも言葉を売ったり伝えたりする仕事をしているからか、会話の中の言葉選びがいかにも「言葉が好きな人」という感じがして、とっさに出てくる言葉が丁寧で複合的だ。聞いている感覚としては、「その辺から聞こえてくる会話が面白くて聞き入ってしまった、みたいなやつの集合体」とか「クラスのすみっこで繰り広げられる言語能力の発達した人間2人の会話を、顔をそちらに向けずに聞いている感じ」だと思っているが、伝わっているだろうか…

まあとどのつまり、「とても面白いです」ということが言いたかったんだと思う。

 

わらび餅を食べる間、耳寂しくてポッドキャストを聞いていたのだが、目にはパソコンの画面、耳にはポッドキャスト、口にはわらび餅という状態だった。

もう常に感覚器官に何かしら情報を与えていないと落ち着かなくなりつつある。特に目と耳が重症だ。

 

私がよく行くスーパーにパックで売られているわらび餅は、きなこをわらび餅の全表面につけて食べていくと、いつも3つくらいまだ残っているのになくなってしまって悲しくなる。そのため最近はきなこのみを別で買っておき、食べる前に追加している。そうすればきなこがなくなって悲しむマイナスを防げるうえ、残ったきなこを掬って食べるという背徳的なおいしい行為もできる。

 

 

今日はそれなりにいろんなものを消費する1日だったが、ささやかな甘味で自分を労えた。