とりとめのないこと

雑記とか雑記じゃないのとかいろいろ

8月6日 岡本太郎展と遠い場所/近い場所、あとタローマン

タローマンを見た昨日の今日で、岡本太郎展に行ってきた。中之島美術館でやっているやつだ。

一階にタローマンもいたのでばっちり撮った。

 

 

 

展示を見ながら、岡本太郎の絵はどれも何か音がしてきそうだな、と思った。

どかん とか バッ とか ずるり とか。

躍動感ある筆致の絵が多いからかもしれない。

 

それと、著書・メディア露出の多さ、グッズのバリエーションの豊富さ(グッズ化のしやすさ)、岡本太郎という人のキャラクターっぽさに対して、「キャッチーだな」と思った。

岡本太郎の放つ言葉も、たくさんの絵やたくさんのパブリックアートも、「確固たる自分」があるように見える中で、どれも「見られる」ということを意識して描かれている・作られている感じがした。

作品を作る人としては当たり前のことなのかもしれないが。

 

うまく言葉にできているかわからないが、商業的とかそういうことではなくて、岡本太郎が「見られる」ということに強い関心を持っていたんだろうな、ということが作品から読み取れる感覚があった。

作品に顔や目が頻出するのもそういうことなんだろうか、と考えたりもした。

 

展示のうち、過去発表した絵に岡本太郎が別の作品に見えるくらい加筆したらしい作品に対してもそう思った。

どれも後から白黒の目が描き足されている、または大きく描き直されていて(意図して展示する側がそれらを選んだのかもしれないが)、その絵を描いた当時よりもメディア露出が増えたり、人目に触れる回数が多い作品を手掛けるようになったから、今まで以上に人の目を気にすることが増えた、感覚的に人の目が昔よりも大きく感じられるようになった、みたいなことなのかなと勝手に解釈した。

 

作品の色味や形を黒で縁取りしている感じはピカソの影響だろうかなと思うが、ピカソの作品よりもモチーフやイメージが一目でわかりやすい気がする。

作品タイトルを見たら「これがそのタイトルのイメージを可視化したやつなのかな」などと直感的にわかる。

「見られていることを意識している」は「伝えようとしている」に近いのかもしれない。

 

あと岡本太郎が提唱した「対極主義」と呼ばれる「芸術家は対極する要素を一つの作品に共存させるべき」という主張のとおり、岡本太郎の絵には色だったり質感だったりが正反対のものが同画面上にあって、その具合が目の奥にパッと表示されて混濁する。

それも岡本太郎の術中にはまるようで面白かった。

 

作品を見終わってから、うきうきで特設のミュージアムショップへ行った。

若い太陽の塔のフィギュアはあったが、タローマンフィギュアはなかった。

それが今日イチショックだったことだ。欲しかった。

 

ないものは仕方がないので、欲しかったもののうちもう一つの図録、気に入ったポストカード数枚、栞を一枚、「坐ることを拒否する椅子」の赤くて目が二つあるやつのステッカーを一枚買った。

レジの出口付近にタローマンの缶バッジとアクリルスタンドのガチャもあったので、もちろんどちらもやった。

数に限りがあるからだろう一人一回までと制限がかかっていて、周りの人も私ももっとやりたがっていた。

結果的にはこれが欲しいな~とうっすら考えていたものが出てきてくれたのでほくほくしながらカバンにしまったが。

 

 

それから中之島美術館を後にして近くの道をてくてくやっていると、隣の美術館(国立国際美術館)での展示の広告が大きく飾られていて、それも気になったので行ってみることにした。

するとなぜか今日は入場無料になっていて、財布を出すことなく展示を見ることができた。

国立国際美術館での展示は「遠い場所/近い場所」と銘打たれていて、主に写真と映像が展示されていた。

 

写真の展示に今まで行ったことがなかったことを後悔するくらい染み入る何かがあった。

絵とはまた違って事実を切り取っているからなのか、私が今日見た展示が特別そうだったのかどっちかは知らないが、メッセージ性の強い作品が多くて目と心どっちにも衝撃を与えられた。

ここでは特に、石川竜一さんと山城知佳子さんという人の映像と写真が鮮烈に記憶に残った。

どちらも沖縄出身の写真家と美術家で、沖縄の文化や人に関連する映像と写真が展示されていて、どちらも直接「見ればわかる、見なければわからない」みたいな作品だと思った。

私の文章力で表しきれないから、欲目でそう思えただけかもしれないが。

 

 

 

 

話は変わるが、調べてみたらタローマンが昔実際に放送されていた特撮ではないらしいことが分かった!

 

 

びっくりした。

なんというかこういう、大の大人が本気でふざけてついたハイクオリティーな嘘みたいなものに騙されるのはとても楽しかった。もはや嬉しいと思った。

良い客であることを自覚できたような感じだ。

 

作中の女性隊員の口調や雰囲気もいかにも昔めいていて、あっさり「昭和っぽいなあー」と信じていた。

それに毎話コメンテーターとして出演していた山口一郎さんに「タローマンの熱狂的ファン」という肩書が似合いすぎていて、「この人めっちゃグッズ持ってんな」と思いはしたものの、それら全てがでたらめだとまでは思いもしなかった。

 

 

タローマンが本当は令和4年の作品であることを知らずにいるのも楽しかっただろうなと思う。知った今もそれはそれでとても楽しいが。

あとフィギュアやかるたやTシャツや、いっぱいグッズを持っていた山口氏が羨ましい。

私もフィギュアが欲しい。「芸術は爆発だ」のポーズをさせて飾りたい。

早いとこ販売されないだろうか。

 

 

 

岡本太郎展に遠い場所/近い場所、タローマン、今日はかなり濃密だった。楽しかった。

文章量にもそれが現れている。