9月25日 昨日の美術館とか
9月23日 パワーパフガールズとマザーグース
弟がカートゥーンネットワークを見ていた。
私も久々にパワーパフガールズを見て、ふとマザーグースを思い出した。
女の子って なんでできてる?
女の子って なんでできてる?
おさとうに スパイス
すてきなもの いっぱい
そんなもんで できてるのよ
昔は博士が誤ってケミカルXを混ぜてしまったのはそういう設定だからだと思っていたが、どうやら上記のマザーグースのパロディーだったらしい。
作品の背景とまではいかないが、それに近しいものが知れたようで嬉しい。
私は日本で生まれ育ったから小さいころにマザーグースを教わる機会に恵まれなかったが、カートゥーンネットワークが世界で親しまれているチャンネルであることを考えると、アメリカやイギリスの人は「これってそういうことかな」と思いながら見ていたのかもしれない。
なんだかパワーパフガールズが日本で製作されたものではないことを間接的にわからされた感じがして面白い。
洋画で「それは○○人とかその地域で生まれ育った人にしか笑えない」みたいなブラックジョークを耳にしたときに似ている。
その手のジョークが飛んでくると、映画がどの層に向けて作られたのかが分かって「おお」と思う。
この場合の「おお」には、自分が視聴者として想定されていないことに対する疎外感も少し含まれている。でも「わからない人にはわからないでいい」みたいなその感じも好きだから、楽しむにはわかる人になるしかない。
文化史の本とか読んで勉強するべきなのかな。
9月20日/21日/22日 ネットに今一度繋がるまでの生活記録
Wi-Fiの機械を変えるとかで、しばらくパソコンがネットに繋げなかった。急で困った。
仕方がないからスマホのメモに書くだけ書いて、つながった日にまとめて投稿することにしようと思っていたが、スマホのインターネット共有でパソコンも繋げることに今気が付いたから、投稿しておく。
・9月20日
目の前に常に情報を供給してくれる機械がないということが、いかにほかのことに充てる時間を生み出すかがよく分かった。
常にパソコンで何かを見聞きすることに慣れすぎて、やることの視野狭窄がひどくなってしまっていた感じがある。やめないと気づけないのが怖い。
僅かではあるが反省したので、今日は本を読んだり兄と話したりした。
いかにも有意義だ。
すぐに検索ができないのは少し不便だったが。
「パソコンが使えない、何しよう」という状況に陥った時に最初に手に取ったのが本だったから、パソコンを絶てば今より本が読めるのかもしれない。
ネットにまた繋がったとき、「触らない」という選択が自分にできるとは到底思えないが。
・9月21日
9月19日 ホラーのピークは夏
シャッフル再生で音楽を聴いていたが、今日は相対性理論の曲がよく流れた。
9月18日 夢の捉え方
寝ても寝足りない。
浅めに寝ている時、テレビの音が夢に入り込んできた。
起きてからそのことに気が付く瞬間が面白い。
友人が明晰夢をよく見る人で、そんなふうに自分も見てみたいなと思っていた時期があった。しかし最近、普通に寝て見る夢もとても面白いことに気が付いた。
捉え方は大事だなと思う。
「夢」というそれ自体が荒唐無稽なようで何かに関係しているような奇怪さを持っていて、それが解明されるのが待ち遠しいようなまだ知りたくないような感覚だ。
日記を書いていたらまた眠くなってきたので今日はもう寝る。
9月17日 見覚えはあるが知らない場所
遠出して、深夜に帰宅した。
面白い経験だった。
そこはかとない「なんで日帰りでこんなとこまで来てるんだ?」という感覚はずっとあったが、自分の住む地域とは違った、そこでしか通用しないあるあるがたくさん見られて面白かった。
次はもう少し具体的な計画を立てて遠出できるといい。
場所が場所だからか、財布のひもが緩んでしまった。
来月は買い物をセーブした方がよさそうだ。